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音楽と韓ドラとお酒・日常の記録

【レビュー】「花束みたいな恋をした」が本当に心に残る理由

※この記事はネタバレを含みます。

 

レディースデイを狙って初めて一人映画をしてんけど。

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私は基本映画はサブスクや地上波まで待つ派で、サブスクの月額料金は映画一回分より安いから月一本の映画を観るだけでもお得な気分になれるねん、でも今回は違って。映画館で観たかった。「花束みたいな恋をした」は菅田将暉有村架純のダブル主演で、予告がすごく印象に残ってて、映像が綺麗で「こんな作品は映画館で観ないともったいない」と思った!なにより、「ナラタージュ」っていう映画を見てからは有村架純の演技がすごく好きで、映画料金を支払っても損はないな〜と思った。

 

3月初旬のレイトショーやったから、公開から1か月は経過していたけど席は半分くらい埋まってた。私は一人で映画を観るのは初めてで予告が始まってからも、なんでかドキドキしてた。席一つ離れた右隣には、私と同い年くらいの女性が一人で来とった。(薄暗かったから同い年くらいに見えただけかもしれんけど。)「あの人は一人映画によく来るタイプの人なんかな〜」とかそんな事を考えながら、特に興味ない映画の予告を観ながら始まるのを待ってた。周りの様子をこんなに見たのは初めてで、誰かと来るときは、その人との会話で特に周りの様子を気にしんけど、今回は一人で来たことの達成感(?)と期待感で、待ってる時間はちょっとだけ長く感じた。「映画が始まる前の予告とか映画泥棒の映像ってこんなに長かったっけ?」とも思った。

 

映画が始まってすぐに「結構大きい音やな」と思った。「椅子はもう少し後ろに倒れんもんか」とか開始15分くらいでそうも思った。たまにしか来んからか、とにかく一つ一つの事に反応してもーたわ(笑)

 

2人が出会うシーン。サブカル好きというので運命を感じる2人。初めて会った日、家に帰宅しても余韻に浸っていたいという絹の気持ちがめっちゃ理解できた。誰かに話しかけられても返事もしたくないくらい、余韻に浸って頭の中で繰り返してたいって私がよくバンドのライブ後に思う感情と一緒やった。話したいけど話すとすぐに余韻が消えちゃうし、あの感覚はほんまに寂しくなるから、出来るだけ黙って余韻に浸かっていたいと思うねんな〜。

 

映画の中盤「そういえばトレイに行きたくならんなあ」っていっつもトイレの事を考えてまうねんな。そのせいで、別に行きたくなかったトイレに行きたくなってくるという謎の自縄自縛に陥ることあるねんけど今回はならんかった!炭酸を飲まんかったからかも。もしくは、映画に集中してたからトイレの存在を一瞬で忘れることができたんかも。とにかく映画に没頭できてよかった!そんだけ映画の内容とか映像がよかったんかもしらん。

 

終盤、感動のシーン。胸が締め付けられるような感じやったけど、なんか初めての感情じゃないような感じした。「これ、経験したことのある痛みや」ってそう思った。たしか最後のカラオケのシーンからめちゃくちゃ切なかったな。

 

友達の結婚式に参加した麦と絹はお互いに別れを決めてて。当然私は女やから、絹の気持ちに重ねてこの映画を観てたんやと思う。結婚式が終わって、二人でカラオケに行くねんけど、それが出会ってすぐにもあった二人で歌うシーン。今回は麦くんが絹ちゃんの肩を抱きながら笑顔で。それがめちゃくちゃ苦しかったな。

 

私も経験したことがある、別れを決めて恋人に会いに行くとき、平然を装うように、いつも通りにしてしまうこと。そのときの心臓は息ができてんのがすごいと思えるほど、握りつぶされているような痛みがあるし。なんかいつも感じんかったのに楽しく感じたりさえするんよな。これから別れを告げようと思っている相手が優しく感じたり、愛おしく感じたりしたら、もっと痛むもので。その様子を傍から見てしまってて。この感覚は経験したことがあるからこそ、見ていて辛かったんやと思う。

 


菅田将暉、有村架純の肩を抱きデュエット 『花束みたいな恋をした』カラオケシーン本編映像

 

そのあと、二人は思い出のファミレスへ行って、よく座ってた席とは別の席につく。ちょっと思い通りにいかん感じもリアルやなと思った。席について、お互いの気持ちを話し出す。もう終わりなんが分かってても、話し出すことに勇気がいるのもよく分かるし、話し出したら終わらせなあかんのもよくわかる。ここでお互いの気持ちがいい方向にならないことを分かっているからこそ余計に辛い感じがする。

 

このシーンの菅田将暉有村架純の演技は、見ているこっちが目が離せんくなるくらい、表情が豊かやった。思い出話して笑い合って、話し合いをしなければならないねって少し寂しくなり、二人の別れが近づいていく。話し合いが進むにつれ、麦が決断できなくなっていく姿は女性目線からすると本当に情けないなあと感じたけど、今回は情けないだけじゃなくって。絹が首を横に振ることも分かってたけど、私もどっかで麦のように期待を持ってたような気がする。思い出話をする二人の表情が切なすぎたんやもん。

そんなとき、出会った頃の自分たちと同じように笑いあう若い二人が近くの席におって、麦も絹も二人から目が離せなくなる。今の自分たちとは違う当時に感情を思い出したのか、二人は堪えきれなくなり、目から涙が溢れ出す。絹は見てられなくなって、席を外すんやけど、それを麦が追いかけて行って。外に出て抱き合った二人を見てたら、私もめっちゃこみ上げてきて涙ぽろぽろ出てきた。

 

別れたあとの二人は、めっちゃすっきりしていて楽しそうやった。何で付き合っている間にもう一回この楽しい雰囲気に戻ることができないものなんやろう。別れた後「好きだったな、楽しかったな」そう思えるのは良いことやけど、なんで好きじゃなくなってしまうんやろう。なんかそんな理屈っぽいことを考えてしまうくらい二人の世界観が好きになってたな。それほど麦と絹に華を感じてしまっていたんやと思う。

 

「どうしてあのカップルが?」

「マンネリ化じゃない?」

「結婚するとおもってたのに」

 

そんな風に思われるような恋は今日も日常のどこかで必ず起こっているはず。でも、それは悪いこととかじゃなくて、この映画ではその様子を「花束みたい」といってるんやろうなって思った。

 

私の心にこの映画が残ったのは、きっと自分も体験したことがあることで、その経験は今も花束のように心の中で一つの綺麗な作品になっていってるからやと思う。

 

映画の内容でここまでリアルに自分と重ねて観ることができた作品は他になかった気がする。これまで見てきた映画の中で感動したことはあったし、この作品より涙したことはめっちゃあった。でもここまで胸が締め付けられて、過去を振り返ることができた映画はなかった!恥ずかしながら、自分もいい恋してきたんかなって思えたし(笑)

 

この作品を観てから、誰かと語り合いたくなったり、自分の気持ちを話したくなった。自分の経験も作品になるんかも、と思った。

ほんまに誰にでも起こりうる普通の話。

 

サブスクに出たら何回も観るやろうな。楽しみにしておこ。